BRAND HISTORY

代表である青木は意識を持ち始めた2歳のころから母親から暴力・無視・食事なし等の虐待を受けて育ってきました。

3姉妹の真ん中で私だけ常に虐待を受ける日々。ただ当時は生まれた頃からその環境にいたため虐待を受けていると感じてませんでした。

しかし、他の姉妹は両親と一緒に食卓を囲み団欒する風景を隣の部屋で勉強をさせられたり、友達との遊びの約束も母親がすべてキャンセルしたり、みんなが寝ている間真っ暗な玄関で宿題をしたり、学校へ行っても誰にも相談なんてできずに帰ったらまた殴られるのだろうなといやいや帰宅するような毎日。

「生きるってなに?大人って何?」

と毎日疑問でした。そんな中たまに連れて行ってくれたANAのホテルビュッフェ。天井も高く、すべてがキラキラしていてそこにくる人たちはみんな楽しそうな雰囲気。自分が知らない世界がたくさんあるんだなと小学生のころに感じた。大人になったらぜったいそういう世界で生きていく人になりたいと2年~3年に1回しかいけないANAホテルに生きる希望を感じ自分をなんとかギリギリ保ってた。

両親が医療系であることから親のレールを外れる方法がわからず、

親に言われた通りの大学看護学部へ進学。

実習中なにもやりがいを感じない。なぜここにいるのかもわからず大学へ通う日々。そんな日常の中、小児の授業で「虐待」についての授業を受けた。ちなみに暴力・無視・食事なしから金をとられる・洗濯機の使用禁止・お風呂はガスをとめられて水で入るなど虐待行為は過剰になっていた。

虐待の授業では虐待の内容とともに虐待を受けた子供の後遺症まで勉強した。そのとき初めて自分は虐待をされていたんだと確証した。と同時に精神的苦痛が一気に来た。大学もいかずに精神科へ通い、親からの愛情がもらえなかったことの悲しさとむなしさと友達に理解してもらえない孤独感。その戦いをずっとしていた。

​こんな自分が看護師としては生きていけないと大学を辞めたいと思った。

苦しい大学時代の時どう抜け出そうか日々悩んでいた。

本田健さんの20代にしておきたい17のことやDr. ジョン・ディマティーニのワークをひたすらして自分と向き合っていった。

ある日、本屋で「商店建築」と出会った。

各インテリアデザイナーが手掛けた空間がのっているものだった。

その瞬間幼いころのANAホテルで感じたものが一気に思い返された。そして職業というものを必死に考えたとき今度は自分が空間で他人に力を与えられる人間になれたらいいなと思った。

​ただ、芸術センスがいる世界だと初め感じてそんな能力が自分にあるのか不安で仕方なかった。しかし幼いころから自分を言葉で表現しても殴られるため音楽や絵で表現をし妹とは脳内の映像で会話をしていたことも思い出し、大丈夫!!たぶんできるはず!!とわずかなほんとに1~2mmの希望でデザイナーになることを決めた。

インテリアデザイナーとして生きるために専門学校へ行き、

有名なデザイン事務所で修業をしていた。

そのころ感じたものは、各デザイン事務所の長の考え方。

長の考え方は会社としての理念や環境にすべて影響する。

私が商空間を専攻するのには2つ理由がある。

1つはデザインテイストやレイアウトが自由であること。

2つめはお金や力がない子供も外を歩くだけでその空間を見ることができること。

もちろんクライアントの希望を叶えていくさらに言えば期待を超えていくことは大前提ではあるが、

商空間はターゲットにしていない多くの人に影響を与えることができる。そこまでを空間デザインとして捉えて仕事をしていくには、

​自分で独立して社会や企業や今を生きる人たちに直接届けられるようにしたいと思い独立を決意。